裁判所から後見人、保佐人、補助人に選任された事例は数多あります。
全てを紹介することはとてもできません。
ここではその中のごく一部で私が特に記憶に残っているものをご紹介させて頂きます。
尚、ご本人を特定できないよういくつかの事例を組み合わせて編集する場合もありますことをご了解ください。
Aさん(88歳 女性)
市長申立てによる家庭裁判所からの選任で成年後見人になった。
特別擁護老人施設に入居されており、半分寝たきりで意識はまどろみ、意味のある会話は不可能であったが、かろうじて挨拶すると少し笑顔が見られた。
Aさんを施設に入居させたのは、認知症の進んだAさんを見かねた近所に住む民生委員の方で、入居の際には大変ご苦労されたそうだ。
Aさんには、自宅のほかに5,000万円を超える金融資産があり、後見人就任後口座名義の変更を行った。
Aさんのもとには、毎月第3土曜日の午前中に訪問することを定例化し、それ以外にも用事があれば随時訪問することにした。
最初の3ヶ月間は週一のペースで訪問していた。
Aさんは早くからご両親と死別し、結婚もせず殆ど独りで生きてきたらしい。
40年近く看護婦として幾つかの病院で勤務し、晩年は唯一の肉親である姉と同居して面倒を見てきたようである。
そのお姉さんは数年前に亡くなられていた為、私が唯一の相続人であるAさんに代わって相続手続きをした。
Aさんが居住されていた家は、主を失ってかなり痛んでおり、ごみが散乱していた。
そこでAさんが自宅に戻る可能性は完全に無くなったことを理由に自宅を売却することにした。
今回のように被後見人の自宅を売却するには、家庭裁判所の許可が必要である。
売買契約後約1週間で許可がおり、無事自宅を売却できた。
Aさんは女性としては大柄で骨格がしっかりしており、病気らしい病気もせずに暮らしてこられた。
しかし、何せ高齢であることもあり、私が後見人であった2年9ヶ月の間に3度入院された。
そして3度目の入院でついに帰らぬ人となった。
身寄りのないAさんであったため、私が事実上喪主を務めることになった。
葬儀社との打ち合わせ、火葬埋葬、菩提寺への納骨、役所関係への届け出等を全て一人で行った。
成年後見人の代理権に基づく権利義務は、被後見人の死亡を以て終了するのが原則である。しかし今回のような場合、これを超えてしまっても仕方あるまい。
Aさんは、私が初めて就任した被後見人として今も記憶に残っている。
以下にその軌跡を綴ってみることにする。